自分らしく…大学病院の力   3

そして…翌日の3月18日

主人と私、それから休みで家にいた同居している長男の

3人で病院へ行った

S総合病院は、この数年前に建てられた病院で

きれいな建物で、ホテルのような雰囲気もあった

駐車場に車をとめて、無言の私達

コロナ禍でもあったので、玄関入り口には

警備の方が立っておられ、検温と消毒を

済ませて、診察室の方へと向かった

 

私の母は、今から17年前に乳がん闘病生活5年目にして

息を引き取った

その母と、月一の診察で大きな病院に通っていたが

診察の予約を取って帰るものの

常に、診察までには半日待たされた

    ( 昨年、春主人が園芸店で買い求めた黄色のバラ)

 

 

今日も、なかなか掲示板に受付番号の表示がされず

一日千秋の思いで名前を呼ばれるのを待っていた

いよいよ…審査室に呼ばれた

担当の先生は…40代くらいだろうか?

小柄な女性の医師だった

 

私達が、三人で椅子に座るやいなや

「肝門部胆管癌です。組織検査はまだおこなっていませんが

間違いないです。…と

今までの人生の中で、いろんな病名を聞いてきたが

初めて、聞く病名だった

主人が…「先生、手術出来るんですよね?」と尋ねると

「手術は出来ない、一生化学療法をやり続ける必要がある…

    そして、効果があまり期待できない」…とも

 

私達三人は、呆然となり

主人の顔だけは、驚いた表情もなく

冷静だった。

 

「とりあえず、黄疸の治療のために明日から入院してください」…と

告げられ、入院の準備を余儀なくする事となった

 

「えぇーーーーー、主人が癌?まさか、まさか?

   間違いだよね、これは悪夢なんだ…と」

長男は、自分の車で帰り

私達は、会社へと向かった

主人が運転する車の助手席で

「社員さんに何て話そう!どうしよう、どうしよう」

これは、人生最大のピンチが訪れた…と、震えて泣きそうになった

 

でも、数年前も会社が水害に合い、水没して

かなりの多額の被災を受けて

大変な思いもしたけど…立ち直る事ができたので

心の中で、「どうにかなる、どうにかなる、落ち着いて」と

祈るような気持ちだった!

 

翌日の3月18日から3月25日の退院まで

主人は、点滴による一週間の絶食を強いいられ

胆管にステントを入れて

胆汁を流す為の手術が行われた

 

コロナ禍で、見舞いも行けず

お互いLINEの動画で、話す生活が始まった

 

 

社員さんには、まだ本当の病名を知らせずに

黄疸の治療で…という事にして

 

「私が仕事を頑張るしかない!」…と

強く、決心して

 

その夜、自宅の主人のベッドに入って泣いてしまった

夢なら覚めて!明日起きたら何事も無かった事に…と

願うばかりだった